遺言書に書く内容として、いちばんシンプルなのはこの一文です。
「私の全財産を妻○○に相続させる。」
財産を一つずつ書き出す必要もなく、分け方で迷うこともありません。ただ、この一文だけで本当に足りるのかというと、確認しておきたい点がいくつもあります。短い遺言ほど、書く前の設計が結果を左右します。
この一文だけで足りるのか
まず、この遺言そのものは有効です。財産を特定せず「全財産を」と書くことも、配偶者一人にすべて相続させることも、法律上は問題ありません。
問題になるのは、遺言を書いた時点と、実際に相続が起きる時点が何年も離れているという点です。その間に家族の状況は変わります。夫婦のどちらが先に亡くなるかも分かりません。子どもや兄弟姉妹との関係が変わっていることもあります。
遺言は、書いた瞬間ではなく、亡くなった時点で効力を持ちます。だからこそ「そのときどうなっているか」まで想定しておく必要があります。以下では夫が「全財産を妻へ」という遺言を書く場面を例にしますが、妻が「全財産を夫へ」と書く場合もまったく同じ論点になります。ここから、実際に確認したい5つの点を順に見ていきます。
①妻が先に亡くなっていたらどうなるか
これが最も見落とされやすい点です。
夫が「全財産を妻に相続させる」と書いた遺言で、妻が夫より先に亡くなっていた場合、その遺言はどうなるのか。最高裁判所は、特定の相続人に「相続させる」旨の遺言について、その相続人が遺言者より先に亡くなったときは、特段の事情がない限り効力を生じないと判断しています(最高裁平成23年2月22日判決)。
起きること
妻が先に亡くなっていた場合、遺言が効力を生じないため、財産は遺言がなかったのと同じように法定相続によって分けられます。妻に全部残すつもりで遺言を書いたのに、結果として自分が想定していない人へ分散する可能性があります。
これを避けるために使うのが予備的遺言です。「妻が私より先に、または私と同時に死亡した場合は、○○に相続させる」というように、次に取得する人まで書いておきます。
妻が「全財産を夫に相続させる」と書く場合も同じです。夫が先に亡くなっていれば、妻の遺言はその部分の効力を生じません。夫婦のどちらが先に亡くなるかは分からない以上、両方の遺言に予備的な条項を入れておくかどうかを検討することになります。
法務局の自筆証書遺言書保管制度でも予備的遺言は想定されており、保管申請書の受遺者等・遺言執行者等欄には、予備的に指定した人の氏名や住所も記入することとされています。特別な書き方ではありません。
大切なのは文例そのものではありません。「配偶者がいなかったら、誰に渡したいのか」を自分で決めておくことです。ここが決まっていなければ、どんな文例を持ってきても書けません。
②遺留分は家族構成でまったく違う
「妻に全財産を」と書いたとき、他の相続人の遺留分が問題になるかどうかは、家族構成によって結論が正反対になります。
妻と子どもがいる場合
子どもには遺留分があります。妻にすべて相続させる遺言をしても、子どもは遺留分侵害額請求ができます。子ども1人であれば、その遺留分は財産全体の4分の1です。
この場合、遺言を書けば争いがなくなるとは限りません。なぜこの内容にしたのかを付言事項として残しておくかどうかが、その後の受け止め方を変えることがあります。
妻と自分の父母がいる場合
子どもがおらず、自分の父母が健在であれば、父母(直系尊属)が相続人になります。直系尊属にも遺留分があり、この場合は財産全体の6分の1です。
妻と自分の兄弟姉妹がいる場合
子どもがおらず、父母もすでに亡くなっている場合、相続人は妻と自分の兄弟姉妹になります。そして兄弟姉妹には遺留分がありません。
この違いが意味すること
子どものいないご夫婦で、両親もすでに亡くなり、兄弟姉妹がいるケースでは、遺言があるかないかで結果が根本的に変わります。遺言がなければ兄弟姉妹(すでに亡くなっていれば甥・姪)が法定相続人として遺産分割協議に加わりますが、「全財産を妻に相続させる」という遺言があれば、兄弟姉妹には遺留分がないため、妻がすべてを取得できます。
これは夫婦のどちらの側にも当てはまります。夫に兄弟姉妹がいれば夫の遺言が、妻に兄弟姉妹がいれば妻の遺言が、それぞれ大きな意味を持ちます。ご自身がどのケースに当たるかは、戸籍をたどって相続人を確定しないと分かりません。
誰が相続人になるのかを確認するところから、遺言の内容は決まっていきます
③配偶者に渡った財産は、最後にどこへ行くのか
ここは、言われてはじめて気づく方の多い点です。
夫が「全財産を妻へ」、妻が「全財産を夫へ」という遺言をそれぞれ用意したとします。仮に夫が先に亡くなれば、財産はすべて妻のものになります。では、その後に妻が亡くなったとき、その財産はどこへ行くのでしょうか。
子どものいないご夫婦の場合、妻がその時点で新たな遺言を残していなければ、妻の相続人、つまり妻の兄弟姉妹や甥・姪へ承継されます。夫が長年守ってきた自宅や、夫の親から受け継いだ財産も含めてです。夫側の親族には渡りません。
先に亡くなるのが妻であれば、逆のことが起きます。妻の実家から受け継いだ財産も含めて夫のものになり、その後は夫側の甥・姪へ渡ります。
考えておきたいこと
最後に残った一人が亡くなったあと、財産を誰に渡したいのか。夫側の甥・姪なのか、妻側の甥・姪なのか、それ以外の人なのか、あるいは団体への遺贈なのか。ご夫婦の希望が一致しているのか、ここで初めて話題になることも少なくありません。
「配偶者に全部」という一文は、この問いに答えていません。答えを出すかどうかは自由ですが、答えを出さないままだと法定相続で自動的に決まります。
④遺言の内容を誰が実現するのか
「誰に渡すか」を決めても、それを実際に手続として実現する人が必要です。それが遺言執行者です。
遺言執行者は遺言で指定できます。指定がない場合や、指定された人が就任しない場合には、利害関係人が家庭裁判所に選任を申し立てることもできます。
「遺言執行者は必ず必要」というものではありません。ただ、指定しておくと手続が進めやすくなる場面があります。たとえば金融機関での預貯金の払戻しや名義変更の際、遺言執行者がいることで誰が手続を進める立場なのかが明確になり、他の相続人の関与を求められる場面を減らせることがあります。
なお、配偶者を遺言執行者に指定することもできます。ただ、残された配偶者が高齢であったり、体調がすぐれない状態であったりすることも想定されます。誰を指定するかは、そのときの状況まで含めて考える事項です。
⑤夫婦で一枚の遺言書は作れない
「夫は妻へ、妻は夫へ」という内容を、一枚の紙に二人で書きたいというご希望をいただくことがあります。これはできません。民法は共同遺言を禁止しています。
夫の遺言書と妻の遺言書を、それぞれ別に作ります。そのうえで、夫が先に亡くなった場合と妻が先に亡くなった場合の両方を想定して内容を決めます。予備的遺言が必要になるのも、まさにこの場面です。
| 想定する場面 | 決めておくこと |
|---|---|
| 夫が先に 亡くなった |
妻がすべて取得。その後の承継先を妻の遺言で決めておくか |
| 妻が先に 亡くなった |
夫がすべて取得。その後の承継先を夫の遺言で決めておくか |
| 先に亡くなった ほうの遺言 |
相手が既に亡くなっていた場合に備えた予備的条項があるか |
| 同時に 亡くなった |
双方の遺言の予備的条項で対応できているか |
「全部配偶者へ」でも財産調査はしたほうがよい
全財産を一人に相続させるなら、財産を一つずつ書き出す必要はありません。それなら財産調査はいらないのではないか、というご質問をいただきます。
結論としては、遺言の内容を決める前に、いま何があるのかを確認しておくことをおすすめします。理由は、確認した結果として本人の希望が変わることが多いからです。
確認しておきたい財産
自宅の不動産、自宅以外の不動産、複数の銀行口座、株式や投資信託、生命保険、事業に関係する財産、共有名義になっている財産
たとえば、先代から受け継いだ田舎の土地が出てきて「これだけは弟の家に戻したい」となることがあります。共有名義の不動産が見つかって、他の共有者との関係を整理する必要が出てくることもあります。相続開始後に残された家族が困るのも、たいていはこうした財産です。
残されたほうがどう暮らすかまで含めて考えるのが、遺言を作るということです
自筆証書遺言と公正証書遺言のどちらにするか
法務局に預ければ内容も安心、とは限らない
自筆証書遺言については、法務局の自筆証書遺言書保管制度があります。手数料は保管の申請1件につき3,900円で、紛失や改ざん、隠匿のおそれがなくなります。
ただし、法務局が確認するのは、全文・日付・氏名の自書や押印の有無といった形式面です。法務省も、遺言の内容について遺言書保管官が相談に応じることはできず、この制度は保管された遺言書の有効性を保証するものではない、と明記しています。
分けて考える必要があること
法務局に確実に保管してもらえることと、その遺言の内容が自分の家族関係と財産状況に合っていることは、まったく別の問題です。予備的遺言が入っていない遺言も、遺留分を考慮していない遺言も、形式さえ整っていれば保管されます。
検認が必要になるのはどれか
| 遺言の種類 | 家庭裁判所の検認 |
|---|---|
| 自筆証書遺言 (自宅等で保管) |
必要 |
| 自筆証書遺言 (法務局に保管) |
不要 |
| 公正証書遺言 | 不要 |
公正証書遺言には証人2人が必要
公正証書遺言を作成するには、証人2人以上の立会いが必要です。そして、推定相続人、受遺者、これらの配偶者や直系血族は証人になれません。
つまり、財産を受け取る配偶者も、子どもも、証人にはなれないということです。公証役場へ行く前に、誰に証人を頼むかを決めておく必要があります。適当な人が身近にいない場合は、専門家に依頼することもできます。
また、公正証書遺言は公証人が作成しますが、公証役場へ行けば自分に最適な内容を全部考えてもらえる、というものではありません。誰が相続人になるのか、財産に何があるのか、本人がどうしたいのか、遺留分をどう考えるか、予備的遺言をどうするか、遺言執行者を置くか。これらを整理したうえで公証役場に持ち込むことになります。公証人手数料も、対象となる財産の価額によって変わります。
フジ行政書士事務所にご相談いただけること
「遺言書を作りたいので一式お願いします」という段階でなくて構いません。次のような段階からご相談いただけます。
| ご相談の内容 | 対応 |
|---|---|
| この内容で 問題ないか知りたい |
家族構成と財産に照らして、確認が必要な点を整理します |
| 誰が相続人になるのか 確認したい |
戸籍を収集し、相続人を確定します |
| 財産関係だけ 整理したい |
相続財産の調査と一覧の作成を行います |
| 夫婦2人分を あわせて考えたい |
どちらが先に亡くなった場合も想定した内容を設計します |
| 自筆証書と公正証書の どちらがよいか |
財産と家族関係を踏まえてご説明します |
| 公正証書遺言を 作りたい |
公証役場での作成に必要な準備と書類の作成を行います |
他士業の業務になる場合
すでに相続人の間で争いが生じている場合や、遺留分をめぐって交渉が必要な場合は弁護士のご相談になります。不動産の名義変更(相続登記)は司法書士の業務です。該当する場合はその旨をお伝えします。
よくあるご質問
「全財産を妻に相続させる」という一文だけの遺言は有効ですか。
形式が整っていれば有効です。ただし、妻が先に亡くなっていた場合にどうするか、他の相続人の遺留分をどう考えるかといった点は、この一文だけでは決まりません。
財産を渡す相手が先に亡くなったら、その人の相続人が代わりに受け取るのですか。
そうはなりません。最高裁は、「相続させる」旨の遺言について、その相続人が遺言者より先に亡くなった場合は特段の事情がない限り効力を生じないと判断しています。遺言がなかった場合と同じように法定相続で分けられることになるため、予備的遺言を検討します。
子どもがいない夫婦でも遺言書は必要ですか。
むしろ必要性が高い場合が多いです。子どもがおらず父母も亡くなっていると、兄弟姉妹や甥・姪が相続人になります。兄弟姉妹には遺留分がないため、遺言があれば配偶者がすべてを取得できます。夫婦それぞれの側について確認が必要です。
夫婦で一枚の遺言書を作れますか。
できません。民法は共同遺言を禁止しています。夫の遺言書と妻の遺言書をそれぞれ作成します。
法務局に預ければ遺言の内容も確認してもらえますか。
内容の相談には応じてもらえません。法務局が確認するのは自書や押印の有無などの形式面で、この制度は遺言書の有効性を保証するものではないと法務省が明記しています。
公正証書遺言の証人を家族に頼めますか。
頼めません。推定相続人、受遺者、これらの配偶者や直系血族は証人になれないため、財産を受け取る配偶者や子どもは証人になれません。
まとめ
「私の全財産を妻○○に相続させる。」この一文は、書くこと自体は簡単です。難しいのは、その一文にたどり着くまでの整理です。
相手が先に亡くなっていたらどうするか。他に誰が相続人になり、遺留分があるのか。配偶者に渡った財産が最後にどこへ行くのか。誰が遺言の内容を実現するのか。夫婦それぞれの遺言をどう組み合わせるか。この5つを決めてから書けば、一文の遺言でも十分に機能します。
ご自身の場合はどうなるのか。まずは相続人を確認するところからでも構いません。フジ行政書士事務所にご相談ください。
遺言・相続のご相談
この内容で問題ないか確認したい、誰が相続人になるのか知りたい、戸籍だけ集めてほしい、財産関係だけ整理したい。全部をお任せいただかなくても、必要な部分だけのご依頼を承っています。
とりあえずLINEで相談する フジ行政書士事務所ホームページ・法務省「自筆証書遺言書保管制度について」
・法務省「自筆証書遺言書保管制度の手数料一覧」
・東京法務局「遺言書の保管申請の手続」
・民法(第969条、第974条、第975条、第1004条、第1006条、第1010条、第1042条ほか)、法務局における遺言書の保管等に関する法律
